どこまでいけるか [エッセイ]

1999年10月に会社を早期退職してタイに移住してから、もう今年で10年目。
いろんなことがあった。
苦しいこともたくさんあった。
ひとつひとつ困難を乗り越えることで、人間としても成長していった。
もうダメだ、これいじょうはできない、たちあがれない、と何度思ったことだろう。
妻はタイ人、3人の娘たちに恵まれた。
どこまで行き着くことができるかわからない。
けれども今、優しいタイ人妻と娘たちに囲まれて、毎日にぎやかだ。
お父さん、やっとわかった。
ああ、これが幸せっていうもんだなと。

srachai from khonkaen, thailand

死ぬ前に [エッセイ]

もし明日死ぬなら何をする?

私の妻はタイ人、タイ東北地方の貧しい農家の娘だ。
結婚して10年になる。
10年前にイサーン(タイ東北地方)Iを旅行したことが、その後の私の人生を変えることになる。

どうしてタイに住み着き、タイ人と結婚したのか?
↓↓↓
http://www.geocities.jp/srachai2000_2/marriage/marriage.htm

もし明日死ぬ予感がするときには、

すべての銀行のキャッシュカードの暗証番号をタイ人妻に教える。

私の死後、タイ人妻と二人のまだ幼い娘たちが、日本の遺族年金を受け取れるように記入した書類を渡す。私の死後、バンコクの大使館に死亡届と、遺族年金申請書を届けさせる。
死亡届も自分で記入しておかなければならない。
タイ人妻でも日本で入籍していれば、配偶者年金や遺族年金を受け取ることができることを、つい先日確認しました。書類を準備中。(まだ死にませんよ)

タイ人妻に向かって、「お前のおかげで、いい人生だった」と、一言だけお礼を言う。

さあ、これからが本番、
「お父さん明日死ぬかもしれないので、最後にもう一度お願いします。」
タイ人のお母さん曰く
「おとうさんって、やっぱりそればっかしなのね」
(会話は全部タイ語ですが必要な人にはタイ語の表現を公開します)

お父さん、今年でようやく60才、年金受給がこの6月より出来ます。
めでたし、めでたし。www

人差し指がすりむけるほどに [エッセイ]

21:38 2008/06/11

人差し指がすりきれるほどに

先週の末から、私は無謀にもアドセンス(アフィリエート)に挑戦している。
コーンケーン市内にあるパソコン専門店でマイクロソフト社のビジュアルCを購入して作業している。タイ語バージョンもなく日本語バージョンも販売されていない。ここで安く入手できるのは英語版に限られている。
最初の2日、私は自分の作業に自信があった。アフィリエートのヘルプのファイルも全く読まず、他の人たちと同じようなファイルを次々と作成していった。
二三日して、私は何か言いようのない違和感におそわれた。
作業の成果が全くみられないのだ。
具体的には、たとえ一日数十円でも動くべき私のプログラムの料金メータはゼロのまんま。
アフィリエートの会社の説明書に目を通したのは、作業を開始し始めてから3日目のことだった。私はそこで初めて自分の未熟さを思いさせられることになった。
『過ぎたるは、なお及ばざるごとし』
私はインターネットで通常使用されるHTMLファイルやHTMファイルの操作に自信があった。
それで、ヘルプもなにも無視して自分流で作業を押し進めた。
画面に現れるはずの成果は毎日全く同じゼロ、私は何か自分の操作が間違っているのを直感した。
私のミスはアフィリエートの会社の情報を全く無視して作業してしまったことにつきる。
4日目、5日目と説明書の手順通りに勧めた。結果はすぐ現れた。
料金メータが動き出した。まるで亀のようにのろい。会社でたくさん月給をもらていたときにくらべても、たかだか僅か一日数十円の成果といえども、私にとっては涙が出るほど嬉しかった。
この一週間、毎日3~4時間の睡眠時間しかとれなかった。
ノートパソコンのタッチパッドを右手の人差し指のひらで何千回とこする操作をするので、指のひらが擦り切れそうな状態だ。
昔ビルマで日本の政府開発援助ODAの仕事を担当していたときに、ビルマ人の友達の技師からビルマのことわざを教えてもらった。
『膝小僧がすりむけるくらいに努力する』 (ビルマ語)
ビルマは貧しくて、大方の家は竹製の床に薄い布を敷いて、そこで眠る。
夫婦の営みの際に、膝小僧をすりむいたエンジニアや下請けの親父さんが、私に英語やビルマ語で自慢する。
『私も毎日こんなにがんばっている』 とロンジーをまくって、膝小僧を私に見せる。
そこは、紅くすりむけて、かさぶた状態になっていた。
私はあのとき、この言葉の意味が全くわからなかった。
正しい意味を理解したのは、ビルマ駐在1年近くになってからのことであった。

srachai from khonkaen, thailand

note:
ビルマでは男性も女性と同じような封筒状のサロンを身にまとう。
私も土日の休みには、ロンジー(ビルマ式サロン)をまっとって、ラングーンの町を闊歩していた。とても懐かしい。軍事政権は一昔よりは随分よくなったと言うのが私の印象だ。当時は自由に外出できてもラングーンより外には出るのは難しい時代でもあった。


旅の途中で [エッセイ]

スラチャイのエッセイ

旅先で書いたスラチャイのエッセイです。
ビールを飲んだあとリラックスしていて、一息に書き上げました。

17:34 2008/10/17

●ジェネレーション

1999年の10月にタイ王国に移住してから丸9年が経過してしまった。
来年は節目の10年目、よくここまでこれたものだと感慨は深いものがある。
9年前、一人の旅行者としてこの村を訪れた日本人、タイでもこの辺境の地まで足を運ぶ人はあまり見かけない。
この村での1年あまりの生活が私のその後の人生を大きく左右することになった。
私はこの村を愛し、村の農家の娘と結婚した。
タイ側、日本側別々に手続きが必要で、書類の申請に3年かかった。
私がタイ語をマスターしてからタイ側の手続きを全部自分で行ったためだ。
苦しかった、けれどそれをやりとげたことは私のその後の人生にとって大きな自信となった。
やったね、お父さん。お父さんでも、頑張ればできることを自ら実証できた。
この村を初めて訪れたときに、たくさんの子供達と知り合った。
10年経過した今、私の目の前にいるのは、すっかり娘らしくなった女性たちと、たくましくなった男性たち。あのとき、あんなに幼かった子供達、こんなに大きくなってしまっている。
お父さん、胸が一杯になってしまった。
ジェネレーション、英語で世代のことを言う。親の世代が子供の世代にとってかわる30年のことである。私はまだタイに来て9年しか経っていないが、今、ジェネレーションということばの意味をかみしめている。


18:08 2008/10/17

●添い寝

末っ子のシーファーちゃん1歳4ヶ月、お昼すぎにお母さんのおっぱいを飲んだあと昼寝をする。お父さんは、添い寝の係、シーファーちゃんといっしょに約2時間の睡眠。
シーファーちゃんに添い寝をしていて、お父さん、人生の最高の幸せをかみしめている。
あーそうか!しあわせってこのことだったんだね。
お父さん、娘たちを少しでも幸せにするために知恵をしぼっている。
多くは望まない、けれども少しのお金は必要だ。
お父さん、睡眠時間を犠牲にしてアフィリエイトビジネスに挑戦。
まだ成果は現れていない。
ベスト10入りして月に10万円くらいの収入があれば、それで十分幸せです。
頑張ります。でも娘たちとしっかりあそんであげることが、もっと大事なことだと気づきました。

18:49 2008/10/17

●人は何のために生きるのか!

お金さえあれば幸せになれる。
多分まちがっていると思います。
生きていくために最小限のお金は必要ですが、お金は絶対条件ではありません。
充実した人生、後悔しない人生をおくる。
これが最優先だと思います。
自分が死ぬときに、私の人生はあまりたいしたことなかったけれど充実していたな!
これが真髄だと思います。
自分の残すことのできた娘たちや息子たちに自分の死後の人生を託す、これが醍醐味だと思います。

譜面台 [エッセイ]

譜面台

お父さん最近語学にのめりこんでいる。
それで大好きなギターほこりをかぶってしまっている。
右手の指の爪もパソコンのインプット速度が増すように短く切ってしまっている。
現代クラッシックギターは爪で弾くのが主流だ。
私は爪を使っても、爪なしでも弾けるが、トレモロの曲だけは爪がないと音楽として表現できないみたいだ。
離れに置いてあるおとうさんの譜面台になんと洗濯ものが干してあった。
お父さん、おもわず『猫に小判』という諺を思い出して苦笑してしまった。なおこの諺、西洋では『豚に真珠』というらしい。新約聖書のマタイ伝に載っているらしいが、私はまだその原文を読んだことがない。

srachai from khonkaen, thailand

村の住職交通事故で急逝す [エッセイ]

村の住職交通事故で急逝す

私がタイ東北地方(イサーン)のチャイヤープーム県でも辺境の地であるこの地に9年前に住み着いたときには、もうすでにこのお寺の住職はここで精力的に活動していた。
最初の三年間はまったく会話にならなかった。
なによりこの和尚さんの話している言葉がまったく聞き取れなかったのだ。
タイ東北地方(イサーン)の言葉のルーツがラオス語であることをつきとめた私は、
すぐにラオス語の学習を開始した。
私のつたない話し言葉でも、なんとか理解してもらえるところまで来ていた。
私はこの和尚さん(僧侶)を心の底から信頼し、私の死後の面倒をみるように依頼までした仲だ。 和尚さんの年齢は私より一回りくらい若い。それでこの和尚さんに私の死後の人生を託してみたのだ。
今から、3ヶ月前にタイのサラッブリー県で、この和尚さんと弟子たち総勢4人交通事故で死亡してしまった。
私はこの和尚さんを本当に信頼していたので、大きなショックを受けてしまった。
入安居の行事で村に戻っても、この寺の住職はもう二度と村人の前に姿をあらわすことは無い。 淋しかった。
私の死後を託した人が私より先に逝ってしまうなんて。
残された村のお寺は、不思議な静けさで満ちていた。

srachai from my home in Chiyaphum.

カレーライス [エッセイ]

カレーライス

妻が8年目にして日本のカレーライスの味を極めた。
感激した。
今まで、妻の日本のカレーライスはどうしてもタイ風の味付けになってしまっていた。
長いあいだお父さんに美味しいカレーライスを食べさせたくて、それなりに努力していた。
一昨日妻がつくったカレーライスはまさに日本の家庭でつくるものと同じ味であった。
風味、やや強めの粘り気、匂い、適当な辛さ、どれをとっても合格点をあげられる。
カレーパウダーはバンコクとちがって日本のものが入手できないので、現地のカレーパウダーを使う。小麦粉もタイ産のものだ。味の決め手となる、玉ねぎと馬鈴薯はチェンマイ産の品質のよいものがコーンケーンのビクシーで常時販売されているので、バンコクと同じくらい恵まれた環境にある。バンコクはもっと恵まれていて、スクンビットのフジスーパーでグリコワンタッチカレーでも、ハウスバーモントカレーでも簡単に入手できるが、値段は日本より高めの設定だ。
にほんより輸入されるので輸送費が加算されそれで値段が跳ね上がっている。
フジスーパーはコーンケーンにはないけれども、お母さんよくがんばってこの味に到達することができた。
ありがとう、おかあさん。
美味しくて、何杯もおかわりをしたおとうさんでした。

srachai from khonkaen, thailand

やっと終わりました [エッセイ]

やっと終わりました。
ほっとしています。
A4版20枚の原稿の英訳、19日の夕方依頼されてから提出期限が本日23日、ほんとうにきつかったです。たった今ビールを買ってきて飲んでいるところです。
稼いだお金は僅か8000バーツ(1バーツ3円)、コーンケーンのロータス(スーパーマーケット)に出かけて全自動洗濯機を購入しました。7990バーツ。私の妻は泣きそうな顔になりながら感謝の気持ちをあらわしていました。私もこの妻のあまりにもつつましやかな態度に感動させられました。日本ではごくあたりまえに使われている全自動洗濯機ですが、コーンケーンの私の団地では2漕式が普通です。スイッチポンであとは干すだけ。妻はあきれた顔をして私の顔を見つめていました。

時期尚早 [エッセイ]

時期尚早

『時期尚早』、難しい言葉ですね。
私はこの言葉、ずっと長い間、『時期早尚(じきそうしょう)』と勘違いしていました。
『時期早尚』は辞書にありません。
英語ばかりでなく、日本語も勉強する必要を感じました。
実際、新聞社説に限っては英語のほうが日本語よりはるかに平易に普通の言葉で書かれていますので理解するのは簡単です。日本語は予備知識が不足していると、社説の記事をしっかりと把握することは出来ません。
日本語、日本人にとっても難しい部類の言葉だと思います。

srachai from khonkaen, thailand

感激あれ若人よ! [エッセイ]

感激あれ若人よ!

『感激あれ若人よ、感激無き人生は空虚なり!』
国立高知大学、初代学長の残された言葉である。
北海道大学、クラーク博士の『少年よ大志を抱け』 (Boys, be ambitious!)と同じくらいインパクトのある重い言葉である。
当時、高知市内に南瞑寮というのがあって、ここに入寮した学生たちはこの初代学長の言葉に従って、自由奔放な人生を謳歌していた。
酔ってしまって、寮歌を歌う前には、この『感激あれ若人よ、感激無き人生は空虚なり!』の口上、それに続きかなり長い文章を叫んだ後で、お互いの肩を抱き車座になって踊り狂うような生活をしていた。
今となっては懐かしい思い出となってしまった。

kiyoshi matui from khonkaen, thailand

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